これだけは知っておきたい、2月1日以降のこと
ミャンマーは、今、日々情勢が悪化しています。
3月27日の国軍記念日には過去最多の100名以上の死者が出てしまい、日本でもNHKや民放で生の映像が流れたことで、一気に注目度が高まったような気がします。(2月から死者累計500名以上と報道。)
興味を持ったという方が最近増えたということを期待して、おさらい的に、これまでの現地での出来事をむちゃくちゃ絞ってお伝えします。(注:ある程度主観が入ってしまうと思いますが、経緯を把握する観点から必要だと思う事実に絞って淡々と記載します。至らぬ点はご容赦ください。)
これを読めば今日のニュースや新聞の内容が頭に入ってきやすいのではないかと思います。
2月1日と2月前半
ざっくり:SNS上で抗議の声が徐々に共有され、最初の週末には早くも多くの民衆が外に出て声を上げ始めた。軍・警察は2月前半までは市民の反応を見極めるためか通常配備されている警察官がメインに対応していたとみられる。デモ集会に対しては、局所的に発砲があり犠牲者が出てしまったが、(今思えばこの期間は)基本的には様子見のスタンスだったと思われる。
2/1月⇒昨年11月総選挙で新たに選出された議員が一堂に集まる議会初日。早朝、アウンサンスーチー国家顧問、ウィンミン大統領、新たに選出された議員の多くが一斉に拘束される。また、2008年憲法上の緊急事態宣言により、国軍総司令官が行政権・立法権・司法権すべてを掌握。選挙不正が国家の安定を損ねたためと同宣言の合憲性を主張。(憲法では「一定」の場合に「大統領」が緊急事態宣言を発して3権を国軍総司令官に移譲できるを定めている)
クーデターの背景については↓を読んでみてください。
2/2火⇒立法権を行使するため国家統治評議会(State Administrative Council: SAC)発足。(行政権・司法権を行使するための閣僚も適宜任命)。
2/3水⇒拘束中のアウンサンスーチー国家顧問らが訴追される(3/31時点も拘留中)。SNS上でCivil Disobedience Movement (CDM)活動・不買運動が広がり始める。夜8時の鍋叩き運動が徐々に広がる(悪霊退散の魔除け=日本でいう家から塩を撒く感じ。以降毎日続いている。)。
2/5金⇒拘束から解かれネピドーを離れたNLD議員らが主導し、オンライン会議で国民の唯一の正当な代表として、連邦議会代表委員会(CRPH)を結成。以後、随時独自の法令等をSNS上で発出しSNS上で多く支持を集める。
2/6土⇒昼頃から完全にネット遮断される(土日のち回復)。市民が町中に出始める。
2/7日⇒全土にデモが拡大し数万人規模になる。
2/8月⇒夜間外出禁止、5名以上集会の禁止令が出される。CDMに参加する職員ボイコット及びデモによる出勤不能で民間銀行は店頭業務休止(以降継続)。幅広い業種で通常営業がストップ。
2/9火⇒ネピドーで19歳の女性が撃たれ重体(19日死亡確認。初の死者)と報道。
2/10水⇒米国制裁発表(11日詳細決定・公表)
2/12金⇒刑事犯含む2万人以上を恩赦により釈放。以降夜間の放火未遂等増える。
2/14日⇒ヤンゴン市内に軍装甲車が見られるようになる。夜間の完全ネット遮断始まる(以降ずっと)。刑法が改正されデモ活動家を幅広く逮捕可能に。
2月後半・エスカレート
ざっくり:2月後半はデモが更に拡大し様々な言語のプラカードを持って国際社会に訴えるなど持続的な力を見せつけた。一方、26日にはヤンゴンで遂にデモ集会を強制的に解散させる実力行使がなされた。その2日後の大規模デモでは参加者に一気に多数の死者や被害が出た。
2/15月⇒現地財閥トップ数名が尋問されていたことが報道される。CDMとしての職場ボイコット運動が政府職員にもかなり広がる(肌感覚では職員の1/3ぐらい。行政機関によって温度差あり)。中央銀行前等で大規模デモ発生。
2/16火⇒2月に入って初の国軍総司令官本人による記者会見(SNS上で反発広がる)。2月に入って初の国債入札約200億円が不調となりほぼ調達できずに終わる。
2/17水⇒デモが全土で数十万規模に。政府関連HPへのサイバー攻撃広がり一時アクセス不能に。
2/18木⇒英国制裁発表。シンガポール外相「幅広い制裁すべきでない」との発言がミャンマー国民の反発を買い不買運動が発生(ミャンマー国民は厳しい制裁をすべきとの意見多数)。
2/20土⇒第二の都市マンダレーで少なくとも死者2名。在緬丸山日本大使がデモ隊と対話しSNS上でミャンマー人から好意的な反応が広がる。
2/21日⇒日本外務省がミャンマー渡航の危険レベル引上げ(ヤンゴン地域レベル2:不要不急の渡航は止めてください)。
2/22月⇒1988年8月8日の「8888」民主化運動になぞらえ、2021年2月22日の「22222」運動としてデモが最大規模となる。世銀がクーデター以降の事業資金支出を停止。インドネシアが平和の早期回復のため、「(国軍が主張する)再選挙を支援する」と言及したと伝わりミャンマー国民の反発を買い炎上。CRPHが特別代表としてDr. SaSa氏を任命し、Dr.SaSa氏が積極的な活動開始。
2/23火⇒国軍側が組織するSACが、政治・経済・社会に関するSAC基本方針9項目を発表。民主主義や連邦制、少数民族との和平合意、海外投資促進や経済発展などを目指すと明記。
2/26木⇒デモの様子を撮影していた邦人ジャーナリストが拘束され、日本大使館が対応したことにより夕刻に釈放される。国軍側のSACによる新委員任命で新たにスタートした選挙管理委員会が、政党への参加を呼び掛けた会合を始めて開催(53政党参加・38政党欠席)し、比例選挙制が示唆される。国連総会特別会合で緬国連大使(前政権からそのまま継続して執務にあたっていた)が軍を非難するスピーチをしてミャンマー及び国際社会の注目を集める。
2/28日⇒「ミルクティー同盟(注)」と呼応することで、タイ、台湾、香港などでもミャンマーの軍事クーデターに反対するデモが大規模になった。ミャンマー内では一日で少なくとも死者18名(過去最多)と一気に増加。
(注)「ミルクティー同盟」香港、台湾、タイ、ミャンマーで起こっているネット上での民主化連帯運動。これらの国ではお茶にミルクを入れて飲む文化あるいはそのような飲み方が見られるのに対し、中国ではそうではないということでこのような名前が付いていると言われる。
3月前半・さらにエスカレート
ざっくり:2月末から、国軍側が街中のデモを積極的に排除する動きを加速させた。3月上旬には現地メディア、アウンサンスーチー氏が率いるNLDの事務所などに軍が入り資料・機材を押収。デモ主導者とみられる人々の自宅等にも軍が入り連行されたり、無辜の市民が撃たれたり乱暴を受けるなど目を覆いたくなる事案が多数発生した。なお、この頃には外国人含め最低限の買出しなどの際でも相当な注意を要するようになった。
3/1月⇒CRPHが国軍側が組織するSACをテロ組織に認定し、国際社会に支持を要請。
3/3水⇒各地で激しい衝突あり一日で少なくとも死者38名(過去最多)。ヤンゴン市内では至るところに土嚢などを使ったバリケードが作られた。この辺りからSNS上で残虐な映像が目立つように。
3/4木⇒一部の軍人・警察官が市民への弾圧を忌避して、国境を接したインドや少数民族武装勢力が支配する地域に逃げ込む等の報道が出始めた。
3/5金⇒CRPHが政治目標を発表し、国軍側が起草した2008年憲法の廃止と新憲法制定の方針を明確化。国連安保理が開催され、10日に非難の議長声明が出されるが英国が提案していた強い制裁の可能性への言及はなかった。
3/8月⇒中国に反発するミャンマー国民がSNS上で、インド洋からミャンマー中央部を通って中国本土に繋がる石油とガスのパイプライン(下図参照)への攻撃を示唆。5つのミャンマー現地メディアが免許剥奪。
3/10水⇒アジア開発銀行が資金支払、新規案件を一時停止。
3/14日⇒ヤンゴンの複数(中国側発表で約30工場)の中国系工場で大規模火災(ファーストリテイリングの取引先工場も被害に)と衝突発生。各地で激しい衝突あり一日で少なくとも死者74名(過去最多)。
3月後半・もっとエスカレート
ざっくり:3月後半に入り、27日の国軍記念日までに街中を平常運転に戻したいと考えてか、一層強硬な姿勢でデモやCDM弾圧に動き、7歳や10代の幼い子供含め死者・被害が激増した。街中では至る所にあったバリケードは通行人や住人が徴用され撤去された。他方、多くのミャンマー国民は相当危険な状況と承知の上で、集合場所を秘密に共有したり、プラカードを持たせた人形多数を道路に並べたり、様々な工夫によりデモを継続し国際社会に訴え、CRPHを応援した。
3/15月⇒前日の工場火災を受け、ヤンゴンの一部地域に戒厳令(逮捕されたら裁判所でなく軍法会議に係ることになる)。併せて携帯電話によるネット接続が全面的に遮断開始(固定回線は日中だけ利用可。以降3月末時点で遮断継続)。
3/16火⇒銀行を監督するミャンマー中央銀行による再三の営業開始指示(営業しなければ罰金や銀行免許剥奪を示唆)を受け、地場銀行一部支店が店頭営業を相当限定的に再開。国連の世界食糧計画(WFP)が2月に入って都市部を中心に食料品などの物価高騰が見られると指摘(なお、物流停滞により地域によっては極端な高騰又は低落もみられる)。
3/17水⇒CRPHが少数民族武装勢力のテロ指定を解除。CRPHが少数民族武装勢力と共同して「連邦軍」を組織するとの情報が拡散され、SNS上で「連邦軍」を期待する声・参加したいとの声が多数あがる。一部の少数民族武装勢力がこれに呼応する動きをみせる。
3/21日⇒国軍側が組織するSACがCRPHを違法組織と指定。
3/22月⇒EU制裁発表。
3/24水⇒全土で屋外でのデモではなく自宅から抵抗を意を示すサイレント・ストライキ。いつも空いている街中のスーパー含め全て休業になる。
3/25木⇒米国が国軍系2社(Myanmar Economic Corporation:MECとMyanmar Economic Holdings Public Company, Ltd.:MEHL)を制裁対象に追加。英国もMEHLを制裁対象に追加。(英国は4/1にMECも制裁追加。これらは多数の子会社を持ち外国企業との合弁事業も多いため、これまで米国、英国、EU等が決定していた特定の国軍関係者への制裁とは一線を画する。)
3/26金⇒「CDM活動」がノーベル平和賞候補にノミネート。
3/27土⇒国軍記念日にネピドーで軍事パレードが開催され、ロシア、中国、インド、タイ、ベトナム、ラオス、バングラデシュ、パキスタンが出席。午前、カレン族の少数民族勢力が国軍施設を攻撃。同日午後、国軍が報復として同地域を空爆したことにより、国境を接するタイ側に3000人の避難民発生(下図参照。その他少数民族の動きについてはこちらやこちらを参照。)。各地で激しい衝突あり一日で少なくとも死者100(過去最多)。
3/31水⇒CRPHが現行憲法の廃止と新憲法具体化に向けた連邦民主憲章を採択。国連安保理が開催される(今後決議ないし声明が出される見込み。4/2現在:ロシア、中国が制裁に反対との姿勢崩さずとの報道あり)。
4/1木⇒カレン州で3月27日からの断続的な空爆で2万人を超える避難民が発生。
(補足1)経済面の現状はこちらの報道も参考にしてください。
(補足2)少数民族武装勢力の動向はこちらの報道も参考にしてください。
(参考)民間有志によりこれまでの死者数などがグラフで表示されています。
According to data received over 57 days, from FEB 1 2021 to MAR 29 9PM, there have been a total of 550 casualties due to the Military Junta’s Use of Excessive Force. There are 15 confirmed deaths of children aged between 6-15. A person is dying every 80 minutes on average in MAR! pic.twitter.com/p1XbLglzyQ
— The Insights (@TheInsights_Ti) 2021年3月30日